七人七色 外伝  国木田勘九郎の一人講評会

 

 やれやれ。俺がいない日に限ってなぜ面倒な事が起きるのか。
 返品の準備の終わった荷物を横目に、ため息が漏れる。
 大体俺はちゃんとF20号と注文書に書いたはずなのにどうしてP10号と受理されるんだ。
 まあ俺はちょっとばかり字の汚さに定評があるせいか、読みづらいと言われることがたまにある。が、いくらなんでもF20とP10を読み間違えることは普通ありえないだろう。

 

ちなみに日本画は習字必須

(いや、これは読み間違えられても仕方ない)by陸校美術部一同

 

 それはともかくとして、都(みやこ)には少し可哀想な事をしたな。本人は手作りの額縁も味があって良いと言っていたが、本来なら新品の額縁が来るはずだったのだから。

 

 さて、まだ時間があるな。せっかくだからあいつらの展示した作品を客より一足先に見ておくか。部員全員の作品をゆっくり見る機会は意外とありそうでないのだし。
 準備室を出て鍵をかけると、隣の美術室の電気をつける。
 まず目に入ったのは、甲府(こうふ)が中心になって飾りつけしたウェルカムボードだ。女子らしいセンスをふんだんに使った可愛らしく仕上がったデザインで、ボードには『芸術の秋をじっくり堪能してください 美術部一同』と達筆な文字が書かれていた。
 このデザインに対してやたら堅苦しい文面である。多分この文書いたの都だろうな。甲府はもっとキャピキャピ(自分で言っててなんだが多分死語)した文章書きそうだし。

 

 受付を過ぎたところにあるのは道ノ倉(みちのくら)がパソコンで描いた作品が飾られている。
 あいつの色彩センスやデザインセンスはそれほど悪くない。きっと頭の中でそういった作品のアイディアがポンポン量産できるタイプなのだろう。実際道ノ倉の仕事はとにかく早い。
 ただ少しセンスだけでどうにかしようとする所があるから、粘るべきところで踏ん張らないため妥協するのも早いのが欠点である。デッサンはもう少し描き込む所があるだろうに、すぐに面倒がる。
 あと、そのよく分からない英語のタイトルは何なんだ。Reminiscence(回想、思い出)は逆に馴染まなさ過ぎてダサい。
 というかそんな大げさなタイトルつけるくらいなら妥協せずにもっと描き込まんかい。

 

 その奥にあるのは1年生の市原(いちはら)の作品群だ。
 俺はここの顧問をやって数年だが、最近の美術部というのは市原が描くような漫画やコミックアートが主体になりつつあるらしい。
 まあ高校生くらいだと堅苦しい絵画より馴染みやすい漫画の方が好みそうだよな。それも芸術なのだから悪いとは言わない。
 ただ、俺自身漫画を描いたことが無い上に、それほど詳しくないからあまり専門的な事が教えられないんだよな。まだ道ノ倉の方が詳しいので、漫画の細かい部分のアドバイスはこっそりやつに丸投げしている。俺が見てやれることはストーリーが分かりやすいか・絵は見やすいか・背景とパースが歪んでいないかくらいである。
 今のところ漫画を描いているのが市原だけなのが救いなのだが、今後漫画を描きたいと言い出す部員が増えていく可能性も高いだろう。それを考えると俺もかじった方がいいのだろうか。流行とか全く分からないので不安なのだが。

 

 順路通りに曲がると、次は志村(しむら)の作品だ。
 あいつはまあ、その、率直に言って「入学時よりだいぶマシになった」といった所か。
 何せ当時のあいつはいくらなんでも授業でやったことくらいはあるだろうという基礎知識すらあったかどうかも怪しいレベルだった。
 ただ、やる気と根性とへこたれなさが人一倍で、成長は早かった。最初の内は、ちょっと俺だったら人に見せるのをためらうようなレベルだった物が、今ではまあ、形にはなってきたというレベルである。大ざっぱでがさつな本人の性格を体現したような絵だが、それはそれで味はなくはない。まだ色彩センスがアレなので、時々変な色の組み合わせとか自覚なくやらかすが。まあ教え甲斐はあるぞ、こいつは。

 

 その隣にあるのが町成(まちなり)の作品。
 奴の色彩センスは志村とは別のベクトルでヤバいものを感じる時がある。
 何というかやたら黒いか、血のような赤とか妙にグロテスクな色合いなのだ。あと、都が持ってきたらしい怪人のマスクの絵があるし。何なんだそのチョイス。
 こいつは会話してもあまり自分から喋らないので、正直何を考えているのか分からないが、これだけダークな路線の絵ばかり描くという事は、彼の中で独特の世界観が確立されているのだろう。今度、ダーク系の画集でも持ってくるか。
 いや、待て。このままどう考えても健全じゃない方向性に進ませるのは彼にとって良い事なのだろうか? 教育上よろしくないと叩かれるのは流石に嫌だぞ、俺は。

 

 そのまま右手のスペースに目をやると、今度は山県(やまがた)の作った立体作品の群れだ。狼やら鳥などの塑像や彫刻が並べてある。
 こいつは道ノ倉とは逆に粘り強く、細かい作業にも決して投げたりしない。
 というと、とても優秀なように聞こえるが、美術・しいては芸術においては必ずしもそれが長所であるとは限らないのである。
 もちろんプラスになっている時は問題ないのだが、こいつの場合妥協できない性格が災いして、放っておくと同じ個所をひたすら描いては消し描いては消しを繰り返して一向に作業が進まないというドツボに陥りやすいのである。そうして他の箇所が見えなくなっていくので、全体を見失い、描けば描くほどバランスが崩れていく。
 手を動かす時間よりも見る時間を増やせと何度も言っているのだが、そこだけはなかなか直らない。そういう性格だから仕方がないのかもしれないが。
 とはいえ、デッサンに関しては実は部内でこいつが一番上手い。
 なんで立体物メインの奴が普段絵を描いている他の連中よりデッサンがうまいのか不思議に思うかもしれないが、これは単純に立体物を作ることにより物の構造を自然と理解しようとする力が山県には身についているからである。
 専門的な話をすると長くなるのでざっくり言えば、目に映るものをそのまま書くのと、モチーフ(本来は創作の動機となった主要な思想や題材の事を指すが、ここでは「描く対象物」の事を指す)の裏側など目に映らない部分がどうなっているのかを頭に入れて描くのとでは違うというわけである。
 え? 説明が分かりづらい? ああ、もう要するにあれだ。デッサンする時はまずモチーフを360度の角度で観察してから描け。可能な限り物の構造をちゃんと理解してから鉛筆を握れ。それだけでも効率性が良くなるから。

 

 さらに順路に反って曲がると、夏で引退した洲田(すだ)と省野(しょうの)の絵があった。
 彼らに関してはもやは言う事はない。2人とも元々描ける人間だったのであまり口出ししなかったし、少しのアドバイスでこちらの意図をすぐ理解してくれた。
 特に洲田は何度か上の賞を取っていたし、省野はまあ、本人のキャラに似合わない繊細な絵柄で他の人間の作品と比べるとインパクトに欠けるせいか、洲田ほど評価に恵まれてはいなかったが、一度だけ大きめのコンクールで審査員特別賞をもらったことがある。
 本当、3年生は当たり年だったよなあ。今いるメンバーもこれに続けと言いたいところだが正直まだまだ足りてない。とはいえ賞を取るのが全てではないし、うちもそこまでガチ勢な部でもないしな。俺も運動部みたいなノリは苦手だし。
 だがこの学校は部の功績と成果によって予算が変動する傾向があるので、なるべくなら誰でもいいから賞を取ってほしい、という気持ちはある。先日起きた予算騒動みたいなことになった時に、何の実績もなかったら恰好がつかないからな。

 

 さらにさらに曲がると、次は甲府の作品だ。
 絵本の挿絵のようなポップでカラフルなイラストが数枚並ぶ中、何故かぬいぐるみやパッチワークのタペストリーも設置されている。強調して言うが、何故かそれらがあるのだ。
 どう見てもそれは美術ではなく手芸の領域だ。漫画以上にアドバイスしづらい。だって俺、ミシンもろくに扱えないし。大体なんで手芸部に行かなかったんだ、こいつは。
 まあ芸大なのに卒業制作が創作ダンスだったという奴も世の中にはいるし、甲府の感覚はきっとそれに近いものなのだろう。ダンスに比べればまだ造形物であるぬいぐるみの方がマシだ。ダンスになるともはや未知の領域を突き抜けた領域になるので完全に俺の出番がなくなる。だって俺、踊れるものなど盆踊りがいい所だし。
 ただ何故か甲府の場合、立体物にも触っているのにどういうわけかデッサンの腕はあまり上達しなかった。本人はモチーフを見ているつもりなのだが、観察して頭の中にイメージをインプットして、それを絵という形でアウトプットする過程の間で何故かデフォルメ調のものが出来上がってくるのだ。絵としては成立しているのだが、なんか元の形と違って見える。
 よって甲府のデッサンは部員の中で一番リアリティから遠い位置にある。
 絵単体で見るとこれはこれで味があるのだが、正直この路線を伸ばすべきかどうかは未だ決めかねていたりはする。

 

 美術室を一周するような形で、最後に辿り着いたのは現部長の都の作品だ。
 デッサンや水彩が並ぶ中、一番目立つのが木枠の手作り感あふれる額縁で囲まれた油絵である。タイトルは「窓から見える景色」。道ノ倉とは真逆の直球なタイトルだが、俺としてはひねりのない直球のこっちのタイトルの方が好みである。
 都の絵は、一言でいると地味である。ただし色合いが地味という意味ではない。むしろもう少し色を混ぜてを作れと言いたくなるくらい絵の具のチューブの色をそのまま使ってるせいで変に鮮やかな部分が所々に見られる。
 じゃあ何が地味化というと、題材がとにかく地味なのである。生物だろうと風景だろうとありふれたもの、見慣れた景色ばかりを選ぶ。そして見たままを忠実に再現しようとする。要するにちょっと色や物の位置を実物と変えてみようという遊び心やアレンジなどそういった物が一切ない。びっくりするほどない。
 そんでもってその再現を常に根気よく、というよりも執念ともいえるレベルの集中力でやり遂げようとする。
たまに運動系上がりのやつでこういうタイプが良くいるが、都のは少し規格外な気がする。
 ああそうだ、都に関してはものすごく驚かされることが一つあった。

 

 あれは去年。都が入部してから3枚めか4枚目の作品になるだろうか。確か1年生(当時)全員で卓上の生物デッサンをしていた時の事だ。
 あいつはモチーフと自分の絵を交互に、まるで間違い探しの方に見比べていたと思ったら、やがて食い入るようにモチーフを見つめ始めた。彼女の右手に収まっている鉛筆は動きを止めたままだ。
 不思議に思って絵を覗き込もうとすると、都は渋い顔をしながら、俺にこういった。

 

「先生、輪郭線って存在しないんですね」

 

 周りにいる道ノ倉たちは形を整えようと必死で輪郭線を描いたり消したりしている。というか絵の初心者は大体こんな感じである。
「何故存在しないと思う?」
 無論俺自身はこの問いの答えは知っている。ただこいつがどうしてそこに行きついたかに興味が沸いた。
「はじめは形を取るためモチーフの輪郭線を必死で追っていました。でも追えば追うほどそんな線は見えてきません。目線を少しでも変えると形は変わってしまいますし、そもそも輪郭線ってどのくらいの太さでどんな色をしているのでしょう?」
「だからさっきじっとモチーフを観察していたのか」
「はい」
 都は再びモチーフの方を見た。
「線などありませんでした。あるのはモチーフの塊と、その周りの空間です」
 俺は正直感嘆した。もちろん都の言っている事は長年絵画に携わっている俺のような人間にとってはとっくに理解している事だ。俺が驚いたのは、都自身が自力でそれに気付いたことである。しかも美術部に入るまでは授業でしか絵を描いた事が無いくらいの初心者だ。
 今や絵画より漫画の方が主流の時代。線画をきっちり描けだの線からはみ出さぬよう色を塗れという事が重視されがちな中で、都は「現実に輪郭線はない」事に気付いたのだ。

 

 いやはや、思い返してもあれには感心した。
 ただ、現実は悲しいかな、それが分かったからといって描けるかどうかとなると話は別である。あの後の都は結局どうやって描いていいのか分からずにずっと手が止まったままだったのだから。あいつは猪突猛進な所があるが、1回つまづくと動けなくなるタイプか。
 今では光の当たり具合や影の付け方を多少意識できるようになり、それこそこの間やってきた京極(本来歓迎する方)の描いた絵の手法に近いものも描けるようになったが、俺に言わせるとまだまだだ。
 ああそれと、都には致命的な欠点が1個あった。
 あいつ、物を見るための観察力と集中力は優秀なのだが、モチーフが現実に存在していない空想画やデザインはからっきし苦手なのである。頭の中に浮かんだイメージを絵にしようという行為がびっくりするほどできない。
 ある意味レアなやつだよな、と都の隣にある道ノ倉の作品を見比べながら苦笑する。

 根気はあるが、現実に存在している物しか描けない部長。
 センスは悪くないが、根気が足りない副部長。

 こいつら本当に対照的だよな。
 まあこいつらに限らず皆が皆してそれぞれスタイルも欠点もバラバラだ。十人十色とはよく言ったものである。いや、人数的に九人九色か? そして洲田と省野が抜けたら七人七色になるだろうし。来年何人入ってくるかは知らん。
 ふいに、腕時計のアラームが鳴った。早く出ないとバスの時間に間に合わない。


 ま、せいぜい精進しろよ、お前ら。


 などと悪役じみた事を心の中で呟きながら、あした会場になるこの部屋を出た。

 


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