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WORST UNIT 2
第二章 魔女と最後の希望(2)

 

 ったくどいつもこいつも。
 同時刻。街の裏通りでは一人の男子学生が、目的もなくフラフラと歩いていた。その表情は見るからに機嫌が悪い。
 先端が黒く染まった茶髪をなびかせ、腰や右足に何本も巻いているベルトの金具をガチャガチャと鳴らしながら全身で苛立ちを表現しているように見えるが、本人は別に、誰かにその表現を見せたいというわけではない。
 どこでもいいから一人になりたかった。誰とも顔を合わせたくないから寮にも帰らずただ街を彷徨っている。
 彼の名はディルフ=キャレス。ジャナルの2歳下の弟だった。
 そして、不機嫌の理由も原因も全てあのバカ兄のせいだと思っている。
 思い起こせば今日は最悪の一日だった。朝一番に教育総会の視察団に呼び出され謹慎処分をくらった兄のことについて延々と言われた。兄が兄なら弟も何か問題要素があるのでは、と理不尽な嫌味まで言い出す始末だ。
 それから解放されると、今度は大して親しくもないクラスメイトからの質問攻め。あまりにもうっとおしかったので一発ぶん殴ったら、次は担任に呼び出され、「お前は兄の件で総会からマークされてるから大人しくしていろ」と釘を刺された。
「くそっ!」
 たまたまそばに落ちていた空き缶を思いっきり蹴っ飛ばす。空き缶は反れることなくまっすぐ飛んでいき、10数メートル先の道路に落下してカラカラと音を立てた。
 だが、空き缶ひとつ蹴ったところでディルフの怒りは収まらない。今度は道端の小石に目を向ける。怒りをぶつけるターゲットは何だってよかった。
 同じ要領で小石も蹴っ飛ばそうとした時、頭上から「おい」という声がした。
 最初に目に飛び込んできたのは黒のロングコート。それから鬱陶しいくらい伸びた長い黒髪。そして、無機質で冷たい感じの目がこちらを見下ろしていた。身長はかなり高い。
「空き缶を蹴るんじゃない」
 無表情のままさっき蹴飛ばした空き缶を差し出すこの男は、確かバカ兄のクラスメイトだったな、と少し考えた後に思い出した。
 名前はヨハン=ローネット。剣の腕はめっぽう強く、開校以来の天才とも名高いエリートの中のエリート。校内ではかなり名が知れ渡っている。ジャナルもある意味名が知れ渡っているが、こっちはむしろ悪い意味なので比較にすらならないだろう。
「それ、俺のじゃない」
 ディルフが鬱陶しそうに答えるとヨハンは、「そうか」と言って、手に持った空き缶を道路の隅に立てた。
 こいつは何がやりたいんだ? ディルフは不審そうに思ったが、それは口に出さなかった。相手は同じ科の先輩(しかもバカ兄のクラスメイト)なのでここで目をつけられると後々が面倒だ。 幸い、こっちは向こうを知っていても初対面だ。あのバカと血縁者だとばれないうちにさっさとどこかへ行こう。そう思った矢先、
「おい、ジャナルの弟」
 しっかりばれていた。
「な、なんで俺が弟だって分かるんだよ?」
「顔が似ている」
「嘘付け! 俺は母親似だが、あいつは父親似だ。どう見ても似てないだろう!」
「そんなことはどうでもいい。逃げるか戦うかはっきりしろ」
「は?」
 唐突に不可解な言動ばかり取る奴だ、とディルフは呆れた。
逃げる? 戦う? 一体誰と? 電波系か、こいつ? と思った時にはヨハンに突き飛ばされていた。地面を転がるディルフが顔を上げるとヨハンはいつの間にか矛のような形をした大振りの剣を片手に持ち、何もない空間をにらみつけていた。
「そこにいるのは分かっている。出て来い」
「だからさっきから何を、あっ!」
 ディルフは大きく目を見開いた。今さっきまで自分が立っていた場所に、空間から滲み出るようにして妖艶な女の姿をした生物が現れた。生物、と表したのは見た目は確かに人型だが、肌は青白く、鉤爪のような手足に、トカゲのような長い尻尾といった、「人間」とは明らかにかけ離れた姿をしていたからだった。
 人の型をして人ならざるもの。それはかつて大戦時に人と対立していた闇の世界の住人・魔族。
「この程度の気配も読めないとは。お前の兄なら読めるはずなんだがな」
「なっ!」
 ヨハンは、抗議しようとしたディルフを完全に無視した。意識が完全に女魔族の方へいっている。
「こいつに取り憑こうとしていたようだったが、残念だったな。一連の魔力欠乏の原因もお前なんだな?」
 剣を構えたまま淡々と喋る。口調は静かだが、鋭い殺気がみなぎっていた。
 だが、そんなヨハンとは対称的に魔族の女は口元に意味深な笑みを浮かべるだけで何もしてくる様子がない。
 それどころか両手を上げて「降伏」の合図を取っている。
「何のつもりだ?」
「見ての通り。私にはお前と戦う理由がない。それに」
「ふざけるな!」
 珍しくヨハンの声が荒くなる。
「貴様等魔族は人類の、この世界の敵だ! それだけで俺には戦う理由がある」
「我々の存在そのものが『悪』だと?」
「無論!」
 剣が魔族の女に向かって振り下ろされる。女はそれをヒラリとかわすと宙を舞った。
 だが、ヨハンは一瞬にして空振りから体勢を整えると人間技とは思えない神速ともいえる速さで宙にいる女に向かって剣を突き上げる。
「甘い」
 女の方もすばやい。この攻撃も余裕でかわすとさらに上へ飛んで静止した。
「やれやれ。お前の相手をしても時間の無駄だ」
 女の体がどんどん消えるように透けていく。
「逃げる気か・・・・・・うっ!」
 急に全身の力が抜け、ヨハンは膝をついた。
「遺伝子的には最も『奴』に近かったのに。どうやらこの手段は諦めた方がよさそうだ」
 それだけ言うと、女はスッと消えた。
 あとには屈辱的な表情を浮かべるヨハンと、放心状態のディルフが残された。

 

 翌日の昼休み。一般生徒にしてみれば遅すぎる時間帯にジャナルは登校して来た。登校、といってもまだ謹慎処分中なので授業に来たわけではなく、学生課に追試の手続きをしにきたのである。
 学校側が定めた試験でなおかつ強制的に受けなくてはならないものでも、いちいち生徒が手続きをしなくてはならないのがこの学校の面倒なところだ。それも学園史上初かもしれないほど不名誉な追試を自ら手続きするとは情けないにも程がある。
 手続きを終えたあと、ジャナルはせっかくだからと教室に顔を出しに行った。
 そして、彼を待ち受けていたのは、
「てめえ、よくもこんな所に顔を出しにこれたな!」
 なんと、2学年下である弟のディルフが数人のクラスメイトに取り押さえられていた。よほど暴れたのだろう教室内の机と椅子はぐちゃぐちゃに乱れている。
「なんか知らないけど、ヨハン出せとか言い出すんだよ、こいつ」
 呆れながら傍観しているイオがジャナルに言った。
「しかもヨハンは今日来てないって言ってるのに聞きやしない。何でも昨日、ヨハンに何か言われたみたいでよ。とにかくお前の弟なんだからお前がどうにかしろ」
「ヨハンかぁ。悪気はないんだけど時々きつい事言うからな、あいつ」
 天才とも呼ばれるヨハンは、別にそれを鼻にかけて自慢したり威張ったりすることはないのだが、自分にも他人にも厳しい性格で、気を遣うという事を全く知らない。他人の欠点や未熟さを容赦なくズバズバ言うので一部の人間にはかなり煙たがられていた。
「何が『この程度の気配も読めないとは。お前の兄なら読めるはず』、だ。ふざけやがって!」
「あいたー」
 ジャナルとイオは同時にこめかみを押さえた。事情はさっぱり分からないが、今や学校中が認める劣等生と比較されて、しかもそれ以下と評価されてしまうのは屈辱的だし、同情もする。が、同時にいくらヨハンの言い方が気に食わなくたって何も殴りこみはないだろう、と呆れもした。
「大体元はと言えばお前が悪いんだ! お前が追試だの退学だの騒動起こすからこっちまで迷惑がかかるんだ!」
「なんで俺のせいになってるんだよ」
 ジャナルはげんなりしてきた。ディルフは単に誰でもいいからイライラをぶつけたいだけだ。自分のわがままが通らなければ駄々をこねる子供と一緒だ。
 とは言え、ジャナルのせいでディルフが目を付けられているのは事実である。その点だけは間違いない。
「とにかく! お前の存在自体が邪魔なんだ! バカで不真面目でへらへらしてていい加減で! どうしてあの人はこんな」
 そこまで言いかけて、ディルフは凍りついたように黙り込んだ。まるでゼンマイの切れたネジ巻き人形のようにピクリとも動かない。
「あの人?」
「うるさい! 今のは無しだ! とにかく俺の言いたいことはそれだけだ!」
 馬鹿でかい声を響かせると、彼は自分を押さえていたクラスメイトたちの腕を振りほどき、猛ダッシュで教室を飛び出していった。
「何だったんだ、今の」
 あとには呆然とするジャナル達が残された。

 

「総会長。やはり私には納得いきません」
 校内で最も優雅にして、最も快適な来客用のオフィス。今現在この部屋を使用しているのは視察に来た学園教育総会の会員たちである。彼らの仕事は国内唯一の教育機関である戦術学園6支部全てを統括し、学校運営における全ての絶対的権限を所持し、それを行使することであった。一言で言うなら『学園の支配者』である。
「納得いかない、とは?」
 総会長と呼ばれたニーデルディアは山積みになった書類の整理をしていた手を止め、部下の方を見た。総会長という役職の割には見た目は若く、男のようにも女のようにも見える中性的な容姿は、独特の雰囲気を醸し出している。
「ジャナル=キャレスのことですよ。あれほどの問題児をどうして退学にしなかったんですか?本来なら追試を放棄した時点で公約通り退学にすべきです」
「理由については審議会のときに言いましたが。彼にはいい戦士の素質がある。人のためなら己の立場を捨て去る勇気と覚悟も備えてますし」
 無論それは表向きですが、とニーデルディアは心の中で付け足した。
「ですが」
「決定は決定。それでもあなたはそれに逆らうと?」
 口調は穏やかだが目は笑っていない。むしろ鋭い眼光がこちらを睨み付けている。青ざめた部下はそれ以上の口出しをやめた。
 まあ、本人にとっては退学の方がましかもしれませんがね。
 悪魔的な笑みを浮かべながらニーデルディアはそれも心の中で付け足したのであった。

 

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