WORST UNIT 2
第二章 魔女と最後の希望(5)「どうしました? もう終わりですか?」
ニーデルディアの楽しそうな声が上から聞こえてくる。が、ジャナルは苦情を考える余裕さえなかった。
目の前の化物は図体がでかいくせに動きがやたら素早い。繰り出してくる拳は強い風圧となって、それすらも武器になる。ジャナルはそれに耐えるか避けるしか行動が取れないままでいた。
それに、たとえ攻撃できたとしても相手は自分よりはるかに大きい筋肉ダルマだ。たとえ心臓を一突きにしても簡単に倒れてくれそうもない。
つまるところ、勝ち目などこれっぽっちもないのは明白だった。
「総会長。やはり危険すぎます。今すぐやめさせないと!」
観客席にいるトムが抗議の声を上げた。
「いいえ。やめさせません。試験ですから」
「しかし!」
「よせ、トム。総会長が生徒を見殺しにする真似などするはずがない」
校長がなおも食ってかかるトムを押さえた。
「まあ、本当に死にそうになったら止めますよ。それに」
バシュッという音がしてブラッキートロルの黒い血しぶきが飛んだ。
「なかなかやりますね。彼は」
試験官たちが下の方を見ると、巨大な怪物の太い腕に傷を付けることに成功したジャナルの姿が見えた。
「ちっ」
ジークフリードの力をもってしても腕に傷を付けた程度か、とジャナルは舌打ちした。
本当なら腕を切り落として怪力を封じるつもりだったのだ。 ジークフリードは相手の力量に比例して斬れ味を増す剣だが、斬れ味だけではこの化物を倒す事はできない。
「げっ!」
次の一手を悩んでいる隙に、ジャナルの体勢が整う前にブラッキートロルの拳が彼に迫る。
「ジャナルッ!」
トムの叫びもむなしく、ジャナルの身体は宙を舞った。
「フォード」
「何か言いたげだな」
「言いたげも何も、なんで店の倉庫と学校の裏庭がつながっているわけ?」
アリーシャとフォードは学園の裏庭にいた。すぐ足元には芝生でカムフラージュされた正方形のフタが同じ大きさの穴の上にずれて置かれている。
「夜の学校は侵入者よけに結界が張ってあるからな。ま、これは作ったのは俺じゃないけど、まさか活用する日が来るとは思ってもなかった」
なら誰が作ったんだ、とアリーシャは心の中でつっこんだ。どう考えてもこういう事態を予期していたなんて不自然すぎるだろう。
「でもジャナルはどこに居るんだろう? 会場の場所、聞いて置けばよかった」
「どこか明かりのついている所を手分けして探すしかないな」
「分かった。じゃ、30分後にここに集合ね」
そう言うや否やアリーシャは夜の闇の中に走っていった。
残されたフォードはしばらく辺りを見回したあと、裏庭の片隅にある、崩れかけた小さな像を見つけた。
「2年前のままだ。全てはここから、か」
「がは・・・・・・ごほっ・・・・・・」
床に叩きつけられ、ジャナルは咳き込んだ。
だが、立ち止まっている場合ではない。気力を振り絞ってフラフラする身体に鞭打って敵との距離を置く。
「総会長! 止めましょう、本当に死んでしまいます!」
「大丈夫。本当の勝負はこれからですよ」
ニーデルディアが白々しく言い放つ。
「くっ」
トムは再びジャナルの方を見やった。
確かにジャナルは圧倒的に不利な状況であるにもかかわらず、まだ戦っている。元々が負けず嫌いな性格だから闘争心も全くと言っていいほど失われていない。
幸い、先ほどの浴びせた一撃で、相手の動きが多少落ちてきたので攻撃の回避に余裕ができた。だが、ジャナルの方もダメージを負っているのであくまで『ほんの少し』だが。
「たあああああ!」
ジャナルは剣を下段に持ち替え、ブラッキートロルに向かって突進する。飛んでくる拳を避け相手の懐に入り込むことに成功した。
「せいりゃあああっ!」
鮮やかにわき腹から喉笛までを切り裂く一撃が決まった。
喉を掻っ切ったのだ。これならもう動けない。そう確信したときだった。
残った力を振り絞って、怪物がジャナルの身体をわしづかみにしたのだ。
「嘘だろ!」
そのままぐいぐいと締め付けられ、ジャナルは息すらできない。全身の骨がミシミシと音を立てる。
「授業で習いませんでしたか? 勝利を確信したときが一番危険な時。しくじりましたねえ、ジャナル=キャレス君」
「総会長!」
「トム=テリートス教諭。これは戦いです。私情を挟む余地はないのですよ」
今にも掴みかかりそうなトムに対して、ニーデルディアはあくまで冷静、かつ冷酷だ。だが、トムにしてみればジャナルは大切な教え子の一人だ。死なせたくない。そうならないように今まで鍛え上げてきたのだ。
なのに、ニーデルディアはその教え子を見殺しにしようとしている。
「総会長! あなたは生徒を何だと思っているのですか!」
すると、ニーデルディアは数秒沈黙した後、こう答えた。
「駒(ユニット)・・・・・・ですね」
「え?」
「彼もあなたも、全ては私が動かすための駒なのですよ」
ゴキッゴキッ
ジャナルの骨が音を立てて折れた。口からは血がボコボコと溢れ出る。
「あ・・・・・・が・・・・・・」
意識がどんどん遠くなっていく。もう死を確信するほかなかった。
というよりも、それ以外のことを考えることすらできなかった。
(力を、覚醒させなさい。)
薄れ行く意識の中、突如頭の中でその『声』が聞こえてきた。
(死にたくなければ、力を解放しなさい。)
これはあの時・・・・・・そう、3人組を倒したときに聞こえてきたあの声だ。
覚醒しろ。覚醒しろ。覚醒しろ。
「その力、『アドヴァンスロード』を見せなさい。このニーデルディアに!」
その言葉がまるで起爆装置のスイッチのように、次の瞬間ブラッキートロルの腕が勢いよく弾け飛んだ。肉片は粉々に飛び散り、怪物はそのまま地面に倒れ伏せて動かなくなった。
ジャナルの方はすでに意識はなく、虫の息だ。
トムと校長はすぐさま倒れているジャナルに駆け寄った。動かさないように慎重に具合を見る。
全身の骨を折られ、手の施しようがない。治癒術(ヒーリング)を施したとしても助かるかどうか際どい所だ。
「やはり、こんなことさせるべきではなかった!」
「待て、トム! ジャナルの身体が!」
「え・・・・・・?」
二人は目を見開いた。
信じられないことに、ジャナルの傷口が常人とは思えない速さでどんどん塞がっていく。骨はあっという間に再生し、肌の血色もよくなっていく。
どれほどの治癒術(ヒーリング)のエキスパートでも死の寸前からあっという間に元通りの身体に回復させることなんて不可能だ。
「総会長!」
トムが叫んだ。その声は震えていた。
「これは一体どういうことな」
ニーデルディアに向けられた言葉が終わらないうちに、トムと校長はほぼ同時に崩れ落ちるようにして気を失った。
二人が完全に動かなくなったのを確認すると、ニーデルディアは気絶しているジャナルの前でしゃがんで彼の身体に手をかざす。触れてもいないのに、ジャナルの身体はそれに抵抗するかのようにビクンと大きく震えた。
それを見ながらニーデルディアは冷たく微笑む。
なおもその身体はビクンビクンと動くが、それはジャナルの意思でもなければニーデルディアの意思でもない。だが、ニーデルディアはそれが誰の意思なのかは理解していた。
「無駄ですよ。あなたの『力』はこの少年の身体に封じ込めました。あなたが錬金科の問題児をその『力』でねじ伏せた時に。皮肉にもあなたがこの少年の身体に乗り移ってから初めて『力』を解放した時に、ね」
ニーデルディアは、目を細めて笑う。
「楽しみにしてますよ。あなたが彼の身体を食い破るほどの力を持つ時を。その時に私の望みは叶うのだから」
最後に大きく脈打ち、ジャナルの身体は動かなくなった。
「さてと。ここまではシナリオ通り。・・・・・・いい加減出てきてはどうです? そこにいるのでしょう、フォード=アンセム」