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  fin

    七人七色 まつりの前(7)


 それからさらに15分。先輩が起こした騒動の後片付けが終わるとともにやっと部員達を解散して家に帰すことができた。私一人だけ部の活動録をまとめていたので最後まで美術室に残っていたが。
 と思いきや。
「洲田先輩?」
「やあ。ミヤコちゃん、おつかれー」
 もう誰もいないと思っていた室内に、まだ洲田先輩が残っていた。
「てっきり帰ったのかと思ってました」
「一人でゆっくり作品見ておきたくて。ほら、藍ちゃんの漫画とか結局見せてもらえなかったし」
 洲田先輩は手に持っていた、藍の作品が綴じられているファイルを元の位置に戻しながら満足そうに言った。
「どうでした、藍の作品は」
「こう言うのもなんだけど、ビックリするほど本人にそっくりだったわ。あ、キャラクターの顔や性格じゃなくて、作品そのものが」
「どういうことですか?」
 作品が本人に似る。なんだか不思議な言葉だ。
「なんかこう、一生懸命って感じで真面目にコツコツ頑張ってる感が出てるし、そのくせどっか自信と度胸があんまりないせいか決めゴマの線がちょっとブレブレしてるし」
「あ」
 確かにそれは妙に納得してしまった。藍は真面目できちんとしているが、気が弱くて打たれ弱い。
「まあ、それはみんなにも言えるけどね。ナリ君とか口数少ないけど根っこには色んなものが詰まってる感じがするし、沙輝ちゃんは気分屋で仕事にちょっとムラがあるし」
「よく見てるんですね」
「そりゃ好きだし」
 唐突な「好き」という単語に思わず「えっ」と聞き返す。
「私、作品見て作者を想像するのが好きなんだよね。どうしてこの作品を作ろうとしたのか、作ってる最中に何を考えていたのか、何を伝えようとしているのか、そしてどれだけの労力を費やしたのか、とかね」
 洲田先輩が微笑みながら私を見上げた。それはいつもの悪戯っぽい笑みではない、とても自然で素直さすら感じる表情だった。
「ミヤコちゃんは絵、描くの好き?」
「え?」
 不意に投げられた問いに、私は少し困惑した。もちろん美術部に所属している以上、嫌いという事はない。
 だが、先輩の言う「好き」と「嫌いではない」というのは等しい意味ではないような気がした。
「正直、絵は奥が深くて、今はひたすらいっぱい勉強したり練習したりの毎日です。心から楽しんで描くにはまだまだ実力が足りないと思っています」
「へえ」
「だから今はもっとたくさん修行して上達したいです」
 洲田先輩がじっとこちらを見ている。
 変な事を言ったつもりはないのだが、もしかしたら先輩が聞きたかった答えではないのかもしれない。
「なるほど、ミヤコちゃんらしい」
 いつも通りの悪戯っぽい笑み。
「安定の体育会系にして超絶ストイック。いやあ、私には絶対真似できないわー」
「絶対褒めてないですよね、これ」
「そんなことない! こんなのは人それぞれなんだから答えさえ自分の中で分かっていれば十分じゃん? ミッチーなんて絶対ミヤコちゃんみたいな答えは出さないだろうしさ。ほら、作品見てもそういう泥臭さい感情とか込めたくなさそうだし」
 先輩は数歩こちらの方へ歩くと、そばの壁に飾られている絵を見上げた。
 暖色系の色合いが複雑に絡み合う、コンピューターで描いた作品だった。なるほど、確かに何でも写実的に描こうとする私の作風とは違う。
「色んな人がいるから色んな作品が生まれる。時には思うようにいかないこともあるけど、それも1つの楽しみだと思うよ」
 言われてみればそうかもしれない。ここ最近己の未熟さを痛感することが多かったが、そういった自分の行いを否定するのではなく、未熟な自分は未熟な自分として肯定していくのも大事なのではないだろうか。
「ありがとうございます。やはり洲田先輩は素晴らしい先輩です」
「え、ええ? いや、別に褒められるようなことはやったつもりはないんだけど」
「いいえ、先輩のおかげで新しい道が開けそうです」
「そ、そうなんだ」
 洲田先輩は観念したかのようにため息をついた。
「にしてもミッチーは流石にかっこつけすぎだよね。ほら、見てよ」
「そうでしょうか? 私はコンピューターの事はあまり詳しくないのですが」
「違う違う、絵じゃなくて題名」
「題名、ですか?」
 先輩に言われてみてみると、暖色系の抽象画には「Red Garden」、隣の青空の絵には「Bluesky Dream」、他にも「youthful」とか「Reminiscence」と書かれている。Reminiscenceの意味は後で辞書を引くとして、実際の作品は彼が家から持ってきた懐中時計のデッサンである。
「なんでも英語にすればかっこいいと思ってるんか、あいつは。しかも普通のデッサンにまでカッコつけすぎ」
「確かにミチは英語はそこそこ得意だと言ってました」
「ミヤコちゃん、英語力の問題じゃないから」
 しかしよく英語の題名など思いつくな、ミチは。私には英語の題名をつけるという発想すらない。そもそも似合わないだろうし。
 Red Gardenは直訳すると赤い庭。この場合、Redは赤い色を指していて、庭の部分はそれ以外を指しているのだろう。それで題名のRed Gardenがミチの中では成り立っているのに違いない。
 それを考えると奥が深いな。そう思いながらもう一度題名の書かれた札を見る。

 Red Garden Toya.M

 あいつ、名前も日本語で書かなかったのか! しかも苗字は頭文字のみ。よく見ないと気付かない。ミチ、ここまで徹底していたのか。
 そしてミチの下の名前がToya、橙也だったことを完全に思い出した。
 道ノ倉 橙也。よし、もう忘れない。
 どうにも普段あだ名で呼ぶ相手は本名を忘れがちになるな。私も主に男子から大将と呼ばれているが、もしかしたら同じように名前を忘れ去られているのかもしれない。
 大将というあだ名は好きに呼べばいいが、それは少しさびしいものがある。

 あれ?

 ふと思い出したが、あのプレハブの事故の時、ミチはとっさに私の事を「喜衣乃ちゃん」と呼んでいなかったか? 一度だけだったが、確かにミチはそう叫んでいた気がする。
 あれには何か意味があったのだろうか。
 もし、それに意味があったのだとしたら、それは
「おーい、ミヤコちゃん、そろそろ日も落ちかけてるし帰ろっか」
「え、は、はい」
 突然現実に引き戻され、返事がどもってしまった。
「どうしたん?」
「いえ、何でもありません」
 私はもう一度だけ、ミチのRed Gardenを見た。
 Toya.M。
 まあ、悪い気はしないかもしれないな。
 そのうちどこかで私もミチの事を名前で呼んでやろうか。呼んだらどんな顔をするだろうか。
 どうせなら今の私のように、名前を呼んだ場面を思い出してくれるような状況が望ましいな。
「ミヤコちゃん、はーやーくー」
「はい、ただいま」
 なんとなく増えた楽しみに満足しながら、私は美術室を後にした。

 


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