前の話へ

 

意識のどん底

WORST UNIT 7
最終章 『最悪』の終止符(8)

 

 「彼」の変わり果てた姿を見たとたん、目の前が真っ暗になった気分になった。
 何かの間違いだ、と思いたかった。だって「彼」は目標でもあり憧れでもあったのだから。
 だが、そこに打ち捨てられているのは間違いなく「彼」だった。
 皮膚に埋め込まれた奇妙な物体も、刻まれた刺青も、そんな事はどうでもいい。問題なのは「彼」はもう動く事ができない。目を覚ます事も夢を見る事も、ない。
「どうしてっ!」
 周囲に人はいなかった。元々人通りの少ない場所では会ったが、心なしか見捨てられていると感じるのは単なる妄想か。
「なんで、こんな事になっちゃってんだよ!」
 別れ際に「彼」は、かつての仲間を討つと言った。
 その結果、ここにあるのは刃で傷つけられた「彼」の遺体。
 致命傷となったものは背中から一突き。形状からして大きな片刃の剣。
 そして、「彼」が討とうとしていた仲間の武器も、同じ形状のものに近かった。
「許さない。こんなの絶対に許さない!」
 憎悪に染まった涙が、「彼」の頬に落ちた。

 

 ニーデルディアの興奮は絶頂に達していた。
 校舎がすっぽりと入るほどに巨大化した扉を前にして、笑い狂いたい衝動に駆られている。
 そしてその傍らには、ジャナルの姿があった。右手を扉の方へかざし、そこから流れ出る光の粒子が扉に吸い込まれてゆく。
「無限なる魔力。さすが『アドヴァンスロード』。さあ、もっと出力を上げなさい」
 言われるままに光の粒子は一層その力を強める。
 ジャナルは完全にニーデルディアの傀儡と化していた。でなければこんな扉を呼び起こし、肥大化させた扉を宙に浮かせ、それ封じている錠を壊しにかかったりはしない。
「中途ハンパな抹殺計画を立てて、捕縛作戦などと言い出してどんどん彼を追い詰めた結果、力は覚醒して増大した。私は最後にそれを手にするだけ。人間共は勝手に自滅したのだ。勝手に大騒ぎしてこの悲劇を引き起こしたのだ。あははっ」
 アリーシャは倒れたままそれを聞いていた。かろうじてまだ意識はあった。が、思考回路はニーデルディアに対する憎悪とジャナルに対する正気に戻って欲しいという願いを考える事で手一杯だった。
(あの総会長が全ての元凶なのに!)
 アリーシャも含め事件の全てを知るものは皆無に等しいが、ニーデルディアが直接ジャナルに対してやった事は『アドヴァンスロード』の存在を彼に意識させ、お守りと称して渡した石で『アドヴァンスロード』をジャナルの肉体に封印し、明らかに倒せない魔物と戦わせて覚醒を促進させるきっかけを与えたに過ぎない。
 その後、トムを抹殺したのは学園側の危機感を煽るためのものだったが、それ以外の事件、イオを使ってジャナルを殺そうとしたのも、死神の誘惑を使って死に追いやろうとしたのも(偽物だった上、カニスが巻き込まれたのは想定外だった)、ディルフを人質にとったことも全てメテオス達が勝手にやったことで、そのたびに『アドヴァンスロード』は発動する事によってかつての力を取り戻しつつあった。
 ニーデルディアは頃合を見て、この時のために手駒にしておいたルルエルを動かし、町を襲い混乱に乗じてあとは『アドヴァンスロード』を手にするだけでいい。
「やはり人は所詮駒(ユニット)に過ぎない。全てが私の計画通りに動く盤上の駒。愚かな人間共はそうとも気づかず我が手の中で踊っている。こんな奴らに我々魔族は負けたというのか」
 巨大な扉がミシミシと音を立てる。
「永かった。とても永かった。人間界に取り残され幾程の月日が流れても、故郷を忘れたことはなかった。扉さえ開けばもう一度私は指揮を執って戦うことが出来る」
 アリーシャは、全てを悟ったような気がした。
 大昔にあった人間と魔族との大戦終戦後も永い間一人この世界に取り残された魔族。それがニーデルディアの正体だったのだ。目的はただ一つ。故郷である魔界に帰ること。
 生きる者殆んどにとっては歴史という古い産物と化した戦争でも、ニーデルディアの戦争はまだ終わっていない。
 しかし、だからと言ってこの悲しき魔族の願いを叶えるわけにも行かなかった。魔界と繋がる扉が開かれれば大量の魔族がここへ雪崩込んでくる。ただでさえニーデルディアが率いた魔物と扉出現の際に起きた大地震で街中の人間は疲弊しきっているのだ。間違いなくこの町は壊滅する。
 ジャナルの方を見ると、相変わらずニーデルディアの意のままに魔力を扉に供給している。目は虚ろでそこに彼の意思はない。
 せめて後一発でいい。ジャナルを止める為の術が使えたら。
 そんな力はこれっぽっちも残っていないというのに。
(あのバカ)
 苛立ちを込めてアリーシャはジャナルの方を睨みつけた。
(こんな時に足引っ張りやがって! このクズ! ボケ! ××××(あまりに酷い言葉なので伏せ)! てめえのせいで死んだら一千代先まで呪ってやる! あんなキモい魔族に操られてんじゃねえよ、バカ!)

 

 闇。五感が全く効かない深い深い闇。
 全てが消滅した虚無の世界に、ジャナルはどんどん沈んでゆく。
 もう何も考えられない、感じない。これが死というものなのだろう。なのに悲しみすら沸いてこない。
 残ったものは闇と虚無だけ。それだけが延々と広がっている。
(延々?)
 何故思考が停止しているのにそう認識できるのか。何故自分の外側にあるものが闇と虚無だと分かるのか。
(なんで?)
 水面に落ちた滴から広がる波紋のように、空っぽのはずのジャナルの心の中に何かが広がった。
(俺は、一体何?)
 なくなったはずの思考に、沸き起こる疑問。それと同時に耳障りなノイズ音が聞こえてきた。
(ろ、ザザッ・・・・・・こん…・・・・・・ね・・・・・・ザー)
 何を言っているのかさっぱりだが、それは確かに誰かの声であった。
(み・・・・・・を、な・・・・・・ザザッ・・・・・・ザザッ・・・・・・きけ・・・・・・)
(聞け?)
 言われるままに耳を傾ける。
 すると、先程までの煩わしいノイズが消え、声がはっきりと聞こえてきた。
(どうやら大丈夫そうだな)
 女の声だった。
(誰?)
(目の前にいるだろう)
 しかし、ジャナルの目の前には闇しかいない。
(目を閉じているから何も見えないのだ。お前、自分で目を閉じている事にも気づいていないだろう? 見えると信じろ。そして見ようと念じろ。そうすれば私の姿が見えるはずだ)
 ジャナルは言われる通りにした。この声だった聞こうとしたから聞こえるようになったのだ。同じ要領ならば難しい事ではないはずだ。
(何とかここまで精神が戻ったようだな)
 暗闇に浮かぶのは、『テンパランサー』だった。
(魔女! 俺、どうなったんだよ?)
(精神を破壊する弾丸を撃ち込まれた。あまりに突然だから致命傷を抑える程度に威力を弱めるので手一杯だった)
 そういう魔女の姿はボロボロで弱々しい。動力源である魔力が断たれているのだろうか、今にも消えそうだった。
(今は最悪な状態なんだ。お前が起きないと冗談抜きで人間共が滅ぶ。今と同じ要領で意識を起こすんだ)
(や、やってみる)
 だが、どんなに念じてもジャナルの精神は現実世界に戻る気配がなかった。しばらくするとだんだん息が上がり、フラフラになってきた。
(なんだよー。なんでうまくいかないんだよ? なあ、本当にこれでいいのか?)
 息を切らしながら愚痴をこぼす。出来ませんでしたなどとは済まされない。それを考えるとどんどん気持ちが焦ってくる。
(どうにかなんない? なんか『アドヴァンスロード』も不調みたいだし、こう裏技とか?)
(そんなものはない)
 切り捨てるような魔女の返事が返ってきて、ジャナルは落胆した。
(小僧。勘違いしているようだが我々の力は万能ではない。『アドヴァンスロード』でも『テンパランサー』でも変えられぬ『力』だってある)
(え? ちょっと今更そんな事言うなよ!)
(甘ったれるな大馬鹿者。それは即ち精神力。エネルギーではなく、心の強さ。何かをなそうとする意思。誰かを守ろうとする思い。こうでありたいと描く願い。思うことは『力』ではない。どうありたいかは自分で決める、ただそれだけの事だ。そしてそれは『力』によって変わるものではない)
 ジャナルは今までのことを振り返った。今の自分では自我を保つ事すら大変だったが、それでもジャナルの『アドヴァンスロード』に関する記憶の中で、自身の性格が大きく変わったという事はなかった。良くも悪くも彼は彼のまま。今こうやって戦いを決意したのも自分の意思以外の何物でもない 。
(元々大昔に死んだ『力』だ。今生きる者が使うべきではない。だからお前一人だけでこの事態を打開して現実に戻るのだ。それから)
 魔女は少し目を伏せた。
(それから、全てが終わったらその『力』を元の持ち主に還してやってくれ。魂が死しても『力』だけ悪用されそうになるのはあまりにも不憫すぎる)
 冷淡なはずの魔族が言ったものとは思えない言葉だった。
 ジャナルはしばし頭上に広がる闇を眺め、それからようやく覚悟を決めたように魔女の方を見た。
(なあ、お節介魔女さん、俺がここから脱出できたら一つ頼まれてくれないか?)
(何だ?)
(ちょっと最大級の大作戦を思いついた。これでニーデルディアもKO間違いなし!)


次の話へ
WorstUnitTOPへ戻る

 

inserted by FC2 system