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pinch

それは、泥沼を舞台にしたような盤上遊戯の始まり。

WORST UNIT 1
第一章 事件開始の三日間 (1)

 

 その日の学園は朝からただならぬ緊張感に満ちていた。
 学校中の教師という教師の表情は石のように固まり、周囲の空気をぴりぴりさせている。その余波が生徒達にも広がり、あっという間にそれは全校中に伝染していった。
 いつもは始業時間ギリギリまで教室・廊下・中庭など場所を選ばず談笑している生徒達も、今日は教室の自分の席で借りてきた猫のように大人しくしている。中には震えている者もいた。
「なあ」
 例外なく静まり返った戦士科・剣術コース8年生の教室で、眼鏡をかけた黒髪の生徒が前の席に座っている女生徒の背中をつついた。
 女生徒は迷惑そうに振り返り、周囲の様子を伺いながら小声で返した。
「何?」
「あいつ、今日がどういう日か分かってんのかな?」
 男子生徒の視線は窓側の一番後ろにある空っぽの席に向けられていた。
「わかってないだろうな、こりゃ」
 今度は時計の方を見る。始業時間まで3分もなかった。
「そりゃあ、あいつの遅刻癖はいつものことだけどさ。あんの馬鹿ぁぁぁぁぁ!」
 男子生徒は誰にも聞こえないよう口パクで叫んだ。

 

 AM8:35。校門に一台の豪華な馬車が止まり、法衣のような衣装をまとった数人の人物が馬車から降りてきた。
「お待ちしておりました」
 彼らを迎えに来たのは二人の中年男、このデルタ校の校長と教頭である。
 だが、法衣の人物達は二人に目をくれることもなく、校門の周囲をチェックするかのようにじろじろと眺めていた。
「掃除は行き届いているようだな。及第点とする」
「はい」
 一人が分析結果を報告し、もう一人がそれをメモする。
「だが門のプレートが少し左にずれている。マイナスだな」
 客観的に見ても不躾にも程がある行為だが、校長も教頭もハラハラしながら見ているだけで、文句も反論の言葉すら言わない。
 校長ですら逆らえない人々、法衣の彼らは、『学園教育総会』の人間である。
 彼らの仕事は国内唯一の教育機関である国立戦術学園6支部を統括し、学校運営における全ての事柄に関する絶対的権限を握っている。すなわち学校行事を行うにも、校則の改正にも、指導要領の手引きも、全て彼らの許可が必要なのだ。少しでも彼らの意思にそぐわぬ事が起こそうものなら良くて訓告、最悪な場合は職を失うことにもありうる。
 そして総会の仕事の一つとして、不定期的に教育現場に赴いて、調査した上で問題点や改善点を取り上げる、と書くと聞こえはいいが、実際はその程度では済まされない。ほっといてくれ、と言いたくなるくらいの全ての事柄に関して、それこそ穴が開くくらいにチェックを入れ、落ち度があるとネチネチと文句や嫌味を言われた挙句、何らかの処罰が下される。これが朝から続いていたピリピリした空気の原因だった。
 無論、チェックの対象は生徒達にもある。ボロを出すとダイレクトに内申に響く。とにかく奴らが去ってくれるまで大人しくしていよう。と言うことで、普段騒がしい生徒達もこの日だけは大人しいのであった。

 

 AM8:45。ホームルームも終わり、各教室ではその日最初の授業が始まっていた。
「ふむ。教師も生徒もみな真面目にやっているようだ。感心感心」
 職員室で一通りの挨拶の後、総会員達は戦士を養成するための学科、戦士科の校舎内を見回っていた。校長と教頭が顔を青くしながらその後をついて行く。
「そういえば剣術コースの今年の8年生はアルファ校との親善試合で大勝利を収めたな。あれは見ていて気持ちのいい試合であった」
「は、はい! ありがとうございます!」
「特にヨハン=ローネットは非常に優秀な戦士だ。軍に入れても即戦力になるだろう。他にも善戦したイオ=ブルーシスに、紅一点のほら、彼女の名は なんと言ったかな」
 T字型になっている廊下に差し掛かったその時であった。
 どたどたと地響きとともに「遅刻遅刻~」と言う叫び声がこちらに向かって近付いて、もとい、突進してきた。
 それが猛ダッシュして来た男子生徒と気付いたときにはもう遅い。彼は思いっきり衝突して、跳ね飛ばされた衝撃でひっくり返っていた。その場にいた全員をしっかり巻き込んで。
「いたた・・・・・・初っ端からベタだなあ」
 赤いキャップをのせたボサボサ頭をさすりながら男子生徒が起き上がる。
 逆さまの黒い十字架のマークのついた赤い帽子と、同じく真っ赤なジャケットと言う派手な服装は、この場所ではかなり浮いて見える。ネクタイ代わりに使っている少し長めのパイロットマフラーには、この学校の生徒であることを証明している三角形の校章バッジが付いていた。
「ん、でもぶつかった相手は転校生、じゃないよなあ、どう見ても」
「ふざけるな!」
 真っ先に反応したのは今の衝撃ですっかり緊張感を破壊された校長であった。
「今何時だと思っている! しかも廊下を走るとはどういうことか! 貴様には常識というものがないのか!」
 廊下で、しかも教室では授業中だというのに怒鳴りつけるのも常識的にどうかと思うが、非は明らかに男子生徒にある。彼は素直にそれを認め、必死で謝り倒しにかかった。
「すんません、すんません、ごめんなさい、どうかお許しをー!」
 本人はこれでも真面目である。
「お前、剣術コース8年生のジャナル=キャレスだな」
 ようやく起き上がった総会員の一人が鋭い目で睨み付けた。
「こっちのブラックリストにも載っているぞ。成績は最悪、しかも何だ、その恰好は。この間の親善試合も三回戦で反則負け。更に」
「じゃ、そういうことで!」
 総会員の嫌味が終わらぬうちに男子生徒・ジャナル=キャレスは全速力で彼らの間をすり抜け、廊下の向こうへ消えていった。
 本人曰く、戦いにおいてのセオリーである不利な状況の上での戦略的後退である。この場合、相手に与えた印象を考えると余計不利な状況に追い込んだようにしか見えないのだが。
「本人及び担任の査定マイナス1。無論校長と教頭である君達もだ。今期の給与は期待しない方がいいな」

 

 昼休み。朝から続いていたピリピリした空気もランチタイムになるといったん解除され、ある者は学生食堂や近所の飲食屋へ、他は持参した弁当を持ち寄って仲間達と楽しく食事をしていた。一部を除いて。
「だから、謝ってるじゃないかー」
 数個の机を合わせて即席の食卓を作り、麻雀のように四方を囲みながらクラスメイトと食事をするジャナルだが、彼以外は口をきこうとしない。
「今日、総会の人たちが来るって事忘れていたんだって」
 やはり誰も返事をしない。意図的に無視を決め込んでいる、とも言える。
「頼むから何か言ってくれよ。これじゃ俺一人が悪者じゃないか」
「どう見てもそうだろ」
 ようやく、黒髪で眼鏡の男子生徒が毒づくように返事をした。先ほど総会員の話にもあがっていたイオ=ブルーシスである。
「大体お前のせいで俺らの品性まで疑われたんだぞ。そんでもって担任のトム先生は大激怒。その結果があれだ」
 持っていたフォークで指した方向には連絡用の黒板があった。

『戦術教本テキスト p61~107
 数学のワーク   p54~71   いずれも今週末に提出すること

  • シュグィン語 第三単元
  • 世界史 アモア王国統一~南北海峡戦争まで
  • エメラルド流剣技 竜円の型のマスター   いずれも来週の授業でテストする』

「けどなあイオ、俺的には今朝の件は不可抗力かと」
「不可抗力なもんか」
 今度は少し鼻にかかった声がジャナルを非難する。
「あたいもイオに同感。あーあ、何なの、この課題の山は」
 バンダナを結ったショートカットを大きく揺らしながら、このクラスで唯一の女子であるカーラ=カラミティがキッとにらみつける。
「ううう。ますますこっちの立場が」
 がくりとうなだれるジャナル。数秒間うつむいた後、顔を上げると正面ですでに弁当を食べ終えて片付け始めているヨハン=ローネットと目が合った。
 長い黒髪を無造作に垂らし、顔半分が隠れてしまっているが、その瞳は無機質で冷たく、服装も脛まである 黒い軍服風コートと言う年相応に見えない恰好だ。目立つと言う意味ではジャナルの赤ジャケットと互角であろう。
「ヨハン、お前はどう思」
「図書館に行く」
「話くらい聞けー!」
 一刀両断。
 まあ、誰がどう見てもジャナルに同情の余地はないのだが、彼にとっては理不尽極まりない。
 そしてその不平不満を口にしようとしたとたん、校内放送が流れてきた。
『生徒の呼び出しをします。剣術コース8年生ジャナル=キャレス君・・・・・・ガチャッ・・・・・・ちょっと何する・・・・・・やい、ジャナル! 今すぐ生徒指導室へ来い! 5分以内にこなかったらシメるぞ、いいな! ・・・・・・ガチャッ
 途中から口調の荒い男の声が割り込んだ放送は強引に切られた。
「あの声ってトム先生だよね。なんかあの人も気の毒と言うか」
 カーラが皮肉をこめてつぶやいた。

 

 同時刻の中庭。
 その人物は男のようにも見えるし、女のようにも見えた。何かしら力強さと繊細さを併せ持った容姿に、独特の色気を漂わせていた。
 道行く生徒達は魅入られるかのようにこの奇妙な来訪者を遠巻きに見ている。
 その者は、慈しむように、それでいて嘲るかのように彼らを見回しながら微笑んだ。
 そしてふと足を止めた。
「感じるな」
 周囲の人間には聞こえないくらいの小さな声で呟く。その視線の先には戦士科の校舎があった。

 

 43 12 11 6 21 26 38 31 19。
 一見何のことやら分からないこの数字の羅列は、ジャナルの中間テスト(筆記試験)の点数だ。
「あ、あはは、まあ、俺にしてはいつも通りじゃね?」
「笑っている場合か、このトンチキ!お前のせいで俺はお偉いさんから大目玉を食らったんだぞ!」
 狭い個室に担任トムの荒々しい声が反響する。
「そして、総会員たちがお前の日ごろの態度・成績を考慮した結果、よくて留年、最悪の場合」
 トムが首を切るジェスチャーをしてみせる。
「し、死刑?」
「阿呆! 退学だ、退学!」
「あー退学ね、退学。って、えー!」
「遅い!」
 どうにも緊張感が感じられないジャナルに、トムの苛立ちは募るばかりだ。
「それは困る! と言うか留年も嫌だ!どうにかならないのかよ、先生」
「どうにかなるんじゃねえ、どうにかするんだ。俺も上と掛け合って交渉してきた。その条件が『今度の追試験で各教科50点以上取る』で処分を取り消してくれるそうだ」
「50! 高いって!」
「どんだけふてぶてしいんだ、お前はぁ!」
 ちなみに学園の定期テストの概要を説明しておくと、各教科の筆記試験の合格点はたったの30点。実践での力を重視するため教養知識は分かる程度でいいのだ。その代わり戦闘関連の試験はかなりハードルが高い。戦いこそが戦士の本懐。これが国の学校教育の方針であった。
 にも拘らずその30点が取れない生徒もいる。その場合は追試験となり、合格点はこれも30点以上。しかも問題の内容も同じだから(数学のみ数字や記号を変えて出題)まず落ちることはない。
 トンチキと呼ばれたジャナルもこのおかげでどうにかやってこれたのだ。
「追試の日程表は掲示板に貼ってある。早いものはあさっての放課後だ。俺に恥をかかせるな」
「いや、これ冗談抜きでしんどいんだけど」
「わ・か・っ・た・か?」
「うぐ」
 ドスの聞いた声に、もはや反論する事が出来なくなったジャナルであった。

 

 

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